ご挨拶

思い込みによる失敗だらけの後継者時代

後継社長専門 事業承継・事業変革コンサルタントの大島康義と申します。
なぜ、現在、私が後継社長専門のコンサルティングを行っているのか、その想いを述べさせていただければと思います。かつて私自身が後継者でした。父親の経営する老舗ホテルの跡継ぎとして育ち、アメリカ留学後、父の会社に入社し、1年目には新ホテルのオープン、2年目には天皇皇后両陛下ご宿泊の責任者を務めるなど、順調な後継者デビューでした。

大島が責任者を務めた天皇皇后両陛下のご宿泊

しかし、1995年1月17日、阪神大震災が発生し、震度7で本店のホテルが半壊に近い被害を受けました。大規模な修繕をし、1年後に再開したものの、無理に無理を重ねた最悪の状態でした。
中途半端な修繕で汚い部分も残り、雨漏りが起こる状態。スタッフの半分が素人同然でお客様からのクレーム噴出。同族問題やコンプライアンス問題等の表面化。そして、100億円の負債で実態は50億円の債務超過という状態で、実質破綻していたのです。

突然訪れた経営者交代と倒産

ショックで寝込んでしまった父に「すべて任せる」と言われ、入社2年目で27歳の私が経営の全権を引き継ぐことになりました。知恵も経験も無い私は、その後数年間、もがき苦しむことになります。何をやればよいのかわからず、数々の士業やコンサルタントとともに手掛けたことも失敗だらけで、社内でも完全に孤立してしまいます。
今から考えれば、やる気だけはあるが、未熟で力が無いボンクラ息子でした。

しかし、究極の状況の中で、ここで気づかなければ会社が終わるという局面に何十回も直面し、そのたびに、自分が「いかに物が見えていないか」、「頭が使えていないか」、「やろうとしていることが間違っているか」に気づかざるを得なくなります。
そして、徐々に後継社長として機能しはじめ、事業承継と事業再生に有効な手を打ち始めることもでき、将来の可能性も見えてきました。最終的には、もう少しで事業承継と事業再生に成功できる寸前までたどり着きましたが、2003年、ついに力尽きて、倒産という結果に終わりました。

失敗の原因を追求し、人生を見直す引きこもり時代

倒産後2年間引きこもり、図書館で倒産関連の本ばかり読み漁り、親子三代の経営のあり方について内省する日々を過ごしました。
そして、自分自身が今後どのように生きていくかも必死に模索しました。
そこで、出てきたのが「後継者」というキーワードです。

100億の負債と倒産を経たからこそ、立ち上げられた後継者支援事業

私自身、後継者であり、深い悩みや問題を抱え、葛藤し続けましたが、それらの悩みや問題は、既存の書籍やセミナーや経営塾やコンサルタントのアドバイスではなかなか解決できないものです。
「おそらく、世の中には、同じような悩みや問題を抱え葛藤している後継者が沢山いるはずだ。こんな失敗した私でも、いや、失敗した私だからこそ、彼ら彼女らが活躍するためにお役に立てるのではないか?」
という想いで、後継者支援の事業を立ち上げることになりました。

後継者はショボい存在なのか?

その後、後継者を支援し続けて16年が経ちます。その中で感じるのは、本来カッコいい存在であるべき後継者が、ショボい存在になっているということです。
起業家と聞くと、カッコいい存在だと社会から認知されますが、後継者はそうではありません。苦労もせずに社長になれる、ちょっとズルい存在であると思われているように感じます。後継者本人も、起業家や先代経営者から比べてショボく、カッコ悪いと引け目を感じています。

しかし、本来、後継者は、カッコ悪い存在ではないはずです。企業は誰かが引き継がなければ、そこで消滅する。企業を消滅させず、雇用を確保し、価値を生み出していく存在である後継者はカッコいいに決まっています。実際、起業家の中で10年残る人は、5%に過ぎないと言われています。また、ほとんどの起業家は自分が食うだけで、新たに雇用を生み出す起業家はわずかにすぎません。

後継社長の現存在と向き合い、共に進化し、後継社長を最高にカッコよくする!

疲弊した日本を良くするためには、それを担う後継者が、是非ともカッコいい存在にならなければならないと、私は考えています。
そのために、後継者支援の実践と本質を浮き彫りにする研究開発に心血を注いだ結果、「“脱”バベルの塔思考」・「創和Ω垂直経営」・「メタ・イノベーション」が生まれ、後継者の方々が体得し実践するための体系が整ってきました。
常識論を打破し、一つ上の次元で活躍したいと切望する後継者・後継社長の方々の現存在と向き合い、世界一の支援者として、共に苦悩しながら、共に進化すべく、人生を懸けて取り組んで参ります。

株式会社大島康義経営研究所
代表取締役 大島康義