“脱”バベルの塔思考

「“脱”バベルの塔思考」とは

周囲から孤立する後継者・後継社長

「なぜ、後継者・後継社長は、周囲から孤立してしまうのか?」

この問題を考えていきましょう。

後継者・後継社長は、現場業務の改善、組織の改変、評価基準の策定、新製品開発など、新しい取り組みをしようとします。それは、「会社の役に立ちたい」、「会社を良くしたい」、「会社を潰したくない」という気持ちと使命感から出る行動であることは間違いありません。

しかし、ほとんどの社員はその気持ちを理解してくれず、協力してくれないので、後継者・後継社長は、なかば強引に進めようとしますが、結局は社員の抵抗に合い、結果が出ず、その取り組みは終わります。そして、また新しい取り組みをしますが、また同じことの繰り返し。頑張れば頑張るほど、後継者は周囲から孤立していく。まさに、「後継者あるある」です。

なぜ、こんなことになってしまうのでしょうか?

バベルの塔の逸話

ここで、過去から伝わっている有名な逸話を紹介します。

旧約聖書の「創世記」11章に書かれている「バベルの塔」の話です。

洪水で有名なノアの曾孫であるニムロデという、世の権力者となった最初の人がいました。彼は、父祖たちの滅亡に対する神への復讐のため、石の代わりに焼きレンガを漆喰の代わりにアスファルトという新技術を用いて、洪水が達しないような高い塔を建てようとしました。
しかし、神の怒りに触れてしまい、お互いの言葉が理解できなくなるように言語を乱すことによって、人は散ってしまい、塔の建設は失敗に終わりました。この塔を「バベルの塔」といいます。

なぜ、ニムロデは失敗してしまったのでしょうか。

焼きレンガやアスファルトという新技術を使うという発想はよかったかもしれません。

しかし、「神への復讐」という目的自体、正しかったのでしょうか? また、たとえ塔が完成したとしても、それ以上の洪水が起これば、結局、役に立たない塔だったのではないでしょうか? そもそも、塔建設自体に、協力の得られる大義や価値があったのでしょうか?

ニムロデは、そこを熟考したのでしょうか? 実は、思いつきに毛の生えたような取り組みに過ぎなかったのではないでしょうか?

だから、結局、指導者の孤立を招き、失敗に終わってしまったのだと考えられます。

後継者・後継社長が陥る「バベルの塔思考」

後継者・後継社長が周囲から孤立してしまう理由は、まさに、このバベルの塔のニムロデと同じ思考、すなわち「バベルの塔思考」に陥っているからです。

「バベルの塔思考」とは、目的を熟考しなくても、本来あるべき姿が見えなくても、思いつきに近い状態であっても、とりあえず新しい取り組みを一生懸命すれば、何かうまくいくかもしれないと期待する甘い思考パターンのことをいいます。

社員は、なんとなく直感的にそれがわかっているから、本気で協力してくれないか、協力するふりをするだけになるのです。

そして、後継者・後継社長本人も、なんとなく自分が「バベルの塔思考」に陥っていることを無意識レベルで認識しています。だから、本気で打ち込む状態になれないのです。自分で新しい取り組みを始めたのにもかかわらず、その目的と結果を最も疑っているのが、ほかならぬ自分自身という状態になってしまうのです。

それで、結果が出るわけがありません。ニムロデのように中途半端に終わってしまうのです。

新しい取り組みさえすれば、成功するというものではありません。特に、目的自体が本筋から離れたものに設定された事業やプロジェクトや取り組みは、どれほど人や金を費やし、どれほど努力したとしても、結局、中途半端に終わってしまい、最後には何も残らないどころか、荒廃した風土だけが残るのです。

「“脱”バベルの塔思考」への大転換

後継者・後継社長が周囲から孤立し失敗に至る回路から逃れるための第一歩は、甘い思考パターンである「バベルの塔思考」に自分自身が陥っていないか、自覚することです。

自覚してはじめて、脱却することが可能となります。

そして、「“脱”バベルの塔思考」に転換するのです。

「“脱”バベルの塔思考」に転換した後継者・後継社長は、以下のようになります。

・思いつきで行動しなくなる。
・やりたいことに飛びつかなくなる。
・新しいことを聞いても、やみくもに導入しようとしなくなる。
・行動する前に目的を考えるようになる。
・目的自体が妥当か熟考するようになる。
・世間の常識論が正しいか、吟味するようになる。
・今、本当にやるべきことは何か、徹底的に考えるようになる。
・周囲に対して、大義や価値を語るようになる。
・本気で信じ、本気で取り組む状態になる。

後継者・後継社長が周囲から孤立することなく、本領発揮するために不可欠なことの第一番目は、「バベルの塔思考」から「“脱”バベルの塔思考」への大転換なのです。